どっぺるくんが作るわたし

好きな人、尊敬する人のいいところをドンドン取り込んでいって、自分を作り上げていくこと。僕という人格はそうやって出来てきたと思います。ですから僕には自分という確固たるものは無くて、「いろんな人の部品が有機的につながって、その境界がうまく自覚できないくらいのカタマリ」が僕、というイメージがあります。
梅田望夫さんは「ウェブ時代をゆく」の中でこれに似たものをロールモデル思考法と呼んでいます。いま友人に貸していて本が無いんですが*1、綺麗にまとめてくれていたレビューがあったので引用させてもらいます。

ロールモデル思考法」とは、「ある対象に惹かれた」という直感にこだわり、その対象をロールモデルとして外部に設定する。そしてなぜ自分がその対象に惹かれたのかを考え続けるというものである。それを繰り返すことで、多様なロールモデルの総体として、自分の志向性がはっきりとした形で顕れてくる、と梅田は述べている。

「ロールモデル思考法」 | my blog

んで、確かに似ているんですけど、僕は「なぜ自分がその対象に惹かれたのか考えない」ところがちょっと違うかなー、と思います。あ、別にロールモデル思考法に反論したいとかじゃなくて、僕はこうやってますよ、って話です。
僕は「こいつすげーな」と思ったら、なんでもマネします。クセから何から全部トレースします。貧乏ゆすりからメガネのあげ方まで。その人を観察して、その人だったらこんな時はこういう反応するだろうな、というのを分析し、数日間その人として暮らします。
どうしてこの人はこうするんだろう、ということは考えません。ただパターンを集めて、その人の動きが再現できるまでやります。まぁ露骨にやると本人が嫌に感じるかもしれないので、本人のいないとこで再現した動きをします。本人がいるときは、こんな反応するだろうな、と予想しながら本人の動きを観察します。
で、そうして数日すると自分の中に「その人」が出来ます。その後、自分のもとの人格に戻ろうとすると、うまいことその人らしさがブレンドされた自分が出来たりします。
ロールモデル思考法に比べるとあんまり頭の良い方法じゃないと思うんですけど、僕の場合「なんでスゴイのか」を考えちゃうと、現在の自分の領域で結論を出してしまって、自分があまり革新されないんですよねー。ので、こんな遠回りな方法を取っています。

結語

なんで今更こんなこと、と自分でも思いますが、ついったー上の人格が最近こうやって高速に更新されていっているのを実感したので書いてみました。ようやっとtwitterでも相手の人格が把握できる程度の関係は出来るようになってきたのかなー。
僕はこうやって生きてきたので、自分ってものは全く感じないですね。でも、他人を集めて出来た僕が、その誰とも違う結論を出したりするあたりが面白く、前回のエントリとつながっていたりします。

*1:っていうかもうあげたようなもんだな、こんだけ時間経つと