知識としての情報、トリガーとしての情報

遅ればせながらtumblrを使い始めた。
元々tumblrのシステムは知っていたのだけど、様々な情報をゴチャゴチャと置いておく事にはあまり意味がないように感じて使っていなかった。系統立っていない情報は後から参照することも無いだろうとも考えていた*1
その認識を変えたのはtwitterのfav機能だった。他の人がしたツイートの中で自分が気に入ったツイートをお気に入りとして残しておく機能だ。favには有用な情報も下らない冗談も雑然と混在しているのだが、その一覧を後で見直してみたら、意外なことに非常に刺激的で楽しかった。
なんでかなーと考えた結果、情報に対する楽しみ方が変化したからかもしれないな、と思った。以前の僕にとって情報とは知識として蓄積されるものであった。しかし今の僕にとっては、情報はトリガーとして読み手に考えさせるものというものに変容したのだ。もちろん情報には両方の意味があり、そのバランスが変化したということなのだけど。
トリガーであればゴチャゴチャしていても構わない。むしろ現状の思考の枠を壊すことを考えれば、系統立っていないことも長所に変わるだろう。
ちょっと飛躍するけれども、twitterの雑然としたタイムラインの楽しさが説明しにくい理由の1つは、この「情報」に対する認識の違いもあるのかなとも思った。

*1:かといって後で情報をまとめる作業も面倒くさい