野蛮なるアドバイス

少し前、仲良くしていた女の人がいた。
僕のことを「ちゃん」付けで呼び、(下世話な意味でなく)身体が触れることにも全然気にしない女の人だった。しかし、双方ともに恋愛感情は無く、それが互いに明らかだったこともあって、変に意識することもなく親友のような付き合いをすることができた。周りの人間にも僕達がそういう関係ではないことは明らかであったようだった。(実際、彼女は僕達の周りの人と付き合い、結婚した)
だが、ある程度距離が離れた人たちにはそうは見えなかったらしく、あるとき彼女が先輩からこう言われているのを聞いた。
「(僕の名前)と付き合う気が無いなら、『ちゃん』付けとか気を持たせるようなこと言うなよ」
『ちゃん』付け如きで気を持たせることになるんかい、とかも思ったが、何かもっと根本的なことが間違っている気がした。ただ、それが何なのか言葉にできなかった。

「男性に勘違いされやすい女性」

そんな彼女に「私って男性に勘違いされやすいみたい。どこか直したほうが良いのかなぁ」と言われたらどう答えるだろうか。
(中略)
「君のこの行為(例えば、過度なボディタッチなど)は一般的に男性に好意を持っていると思われることなんだ。だから、君がこれ以上勘違いされたくなかったら、そのような行為は一切合切止めるべきだ。」

「男性に勘違いされやすい女性」 - atmaitの日記

普通の男の人はそう答える。僕だってそうする。
だが、元エントリーの筆者さんは本当にそれでいいのか、と疑問を呈する。

(前略)にもかかわらず私は、過度なボディタッチが男を勘違いさせてきたのだと、決め付けて、すぐさま止めるように説得していたのである。
つまり、この言い方は私が忌み嫌う言説と基本的に同じ穴の狢だったのだ。「女性が露出の高い服を着ているから、レイプに合うのだ」といった身勝手な男の論理。男の自制心の無さが犯罪を引き起こしたにも関らず、被害者の女性に責任を転移させる非情な論理。

「男性に勘違いされやすい女性」 - atmaitの日記

あぁなるほど、と思った。

問題点

こういったアドバイスをすることに嫌悪感を感じるのは以下の2点からである。

  1. 被害者の方に責任があるという論理
  2. アドバイスという形で自分の意見を押し付けること

1.被害者の方に責任があるという論理 について

犯罪が起こったとき、悪いのは100%加害者だ。
ただ、被害者の「責任」は無いわけではない。それは起こった犯罪に対する「責任」ではなく、自分の安全に対する「責任」だ。犯罪は起こすやつが完全に悪い。しかし、「危険な領域に入っていかない」というのは生きていく上で「自分で自分に課す責任」だ。
この議論をするときに、「何に対する責任か」という視点が欠けているから議論が進まないのだと思う。

2.アドバイスという形で自分の意見を押し付けること について

忘れがちだが、アドバイスは意見の押し付けだ。それは仕方の無いことだし、相手もそれを望んでいる。自分が分かっていることなど話されても(殆ど)意味が無い。
そして、意見の押し付けではあるが、アドバイスは新たな視点を与えてくれる以上、有用なものだ。例として元エントリーの内容を使わせてもらえば、ボディタッチは男に勘違いさせる確率があることを、相談相手の女の人が分かっていない(or実際的なことだと思っていない)かもしれないが、そこに対して新たな視点を与えることは、彼女の身を守ることに有用であろう。
重要なのはアドバイスは意見の提示であり、判断するのは相手ということを認識していることである。

まとめ

元エントリーの筆者さんが「どこを直せばいい」と聞かれたら「個人的にはボディタッチはこう思う人がいると思うよ」と言う分には何の問題も無いと思う。「ここは危険だよ」と表示すること自体には何も問題はない。ただ、「問題を起こすのは君」という意見と「こうしなくてはいけない」という意見を言わない限り。
最初に書いた体験についても、この2つが混ざり合っていたせいで言葉にできなかったのだと思う。相談もされていないのにこんな意見をいうなんて、まさにこの2点について気を使っていない。


自分としては、アドバイスをどう受け取るかは相手に任せなくてはならないということを強く認識した点で有用だった。ただ、頭では分かっていても

(前略)大切に思っている人ほど、彼女の行為を制限したいと思うだろう。確かに起こるときは起こる。だが、その起こる確率を最小限にできるだけしてあげたい。

「男性に勘違いされやすい女性」 - atmaitの日記

とは思ってしまうのだよなぁ……。それが、信用していないってことなんだけど。