覘き小平次
京極夏彦さんの書いた怪談。カテゴライズするなら「嗤う伊右衛門」と同じカテゴリーに入る。*1
ふん、という女声が聞こえた気がした。
「下を向いておるのかえ」
三味の音に似た、淫らで華やかな声音である。(9p)
こんな表現が琴線に触れる僕は、このシリーズを気に入っている。
京極さんは小説のシステムに非常に拘る人だ。
各ページの終わりで必ず段落変えが行われる、主題となる言葉を小説内で繰り返し繰り返し使う、小説全体がテーマに沿った構造をしているなどなど、中身は勿論、小説というシステムについても大変気を使っている。また「覘き小平次」では「嗤う伊右衛門」と同様、各章ごとに章名の人物の視点から物語を綴るという形態をとっている。
- 作者: 京極夏彦
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2008/06/25
- メディア: 文庫
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あらすじ
一日中、押入れ棚に引きこもり、わずかの隙間から世間を覗く、売れない役者、小平次。妻のお塚は、一向にその不気味な性癖がおさまらぬ亭主に悪態をつく毎日である。そんなふたりのもとへ、小平次の友人で囃子方の安達多九郎が訪ねてくる。禰宜町の玉川座が、次回の狂言怪談の幽霊役に小平次を抜擢したという。一座の立女形、玉川歌仙の依頼を受け、奥州へと向かう小平次。しかしその興行の裏には、ある仕掛けが施されていた…。
http://www.amazon.co.jp/%E8%A6%98%E3%81%8D%E5%B0%8F%E5%B9%B3%E6%AC%A1-%E4%BA%AC%E6%A5%B5-%E5%A4%8F%E5%BD%A6/dp/4120033082
この「仕掛け」は前振りで、「仕掛け」を契機につながってしまった過去の複数の因縁が重なり合うというお話。小平次はどの因縁にも関係の無い人間なのだが、複数の因縁が重なり合う地点に小平次は居り、まるで小平次を中心として回転するように物語は収束していく。
感想
「覘き小平次」は「芝居」が主題だ。システム的な面もそれを気にした風でもある。
人は誰もが芝居をして暮らしている。感情表現は芝居であるし、人の心を理解することも自分の中で他人に芝居をさせるということだ。他人との関わりの中で生きていくとき、その中で作られる文脈に従って人は芝居をしているのだ。だが、演じている自分は本当の自分なんだろうか、そもそも本当の自分とは何なんだろうか。そんなものあるのだろうか。
「他人の裡は覘けますまい。覘いた気になっているだけ。覘いて見えるものは全部自分の裡で御座います。(後略)」(231p)
小平次は舞台に出ても立っているだけだ。だから大根役者であり、稀代の幽霊役者なのだ。そして小平次は舞台の下でも芝居ができない。だから、怖い。
そんな小平次も無理をして役を演じるべきなのか、役を演じない人間として生きることができるのか。いや、人は役を演じるべきなのか、そのまま生きるべきなのか。他人の気持ちが分かると信じて生きるべきなのか。
「ただ立っていること」。それが芝居では一番難しい。
おまけ
京極さんの作品は映像化されているものが多いが、殆ど見たこと無い。あるのは「荒野の七人みさき」のPVくらい。
キレイな声だろ、これ直木賞作家なんだぜ……。http://www.woopie.jp/video/watch/323dd352099192c7?kw=%E4%B8%83%E4%BA%BA%E3%81%BF%E3%81%95%E3%81%8D&page=1
七人ミサキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E4%BA%BA%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%AD
災害や事故、特に海で溺死した人間の死霊。その名の通り常に7人組で、主に海や川などの水辺に現れるとされる。七人ミサキに遭った人間は高熱に見舞われ、死んでしまう。1人を取り殺すと七人ミサキの内の霊の1人が成仏し、替わって取り殺された者が7人ミサキの内の1人となる。そのために七人ミサキの人数は常に7人組で、増減することはないという。