「生物とは何か」へのアプローチ

生物学がユニークな点の一つは、「生物とは何か」という規定がないことだ。科学は前提を規定し、それを積み重ねる事で世界を実証しよう、時には前提を見直そう、といった考え方で行うものだが、生物学においては、その名前である生物の規定自体できていない。


「生物」とは何か

生物が無生物から区別される一般的な特徴として、生物は、自己増殖能力、エネルギー変換能力、恒常性(ホメオスタシス)維持能力という3つの能力をもっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9

wikipediaにあるように、この3つの能力が生物を規定するといわれる事が多いが、これらを持たない生物というのは当たり前のようにいる。例えば、おばあちゃんは個体としての自己増殖能力を持っていない(細胞レベルでは持っているが)。
逆に、明らかに生物ではないのに3つの要件を満たすものもある。例えば、自分と同じ工場を作る工場という、ちょっとありえそうのないものを考えてみると、これは3つの要件を満たすであろう。
生物の規定に他の条件を追加したり、引いたりしても中々生物の要件を満たすものは現れない。


「生物らしさ」とは何か

しかし、多くの人は、物体が生物であるかどうかを何となく判別できる。ただ、非生物(と規定されそうなもの)を「生きているみたい」と思うことがある。この「生物らしさ」は何なのだろうか。
ここで「生きていそう」なものと「生きてなさそう」なものを比較してみる。単純に、生物Aと、Aの構成成分を混ぜたスープBを考えてみる。AとBは構成成分が同じなのに、片方は生物らしく片方は生物らしくない。「生物らしさ」は、物質にこもる物ではないのだ。


一時的な結論

我々が「生物」と呼ぶときは、何かの物質を指しているというよりも、複雑に絡み合ったシステムを指しているのではないか、と僕は思っている。これは「生物らしさとは何か」に対する答えでしかなく、生物の規定には矢張りならない(例えば無生物的な複雑系を含んでしまうから)。また、「生物らしさとは何か」という問いに対しても暫定的な答えでしかない。
ただ、「生物とは何か」「死とは何か」という問題へ対するアプローチとしては、この視点は結構役に立つのじゃないかな、と感じるのだ。