毛布を洗う

朝起きたら毛布が臭かった。
良く考えたら、毛布を干したりはするけど洗ったことが無かった。うん、汚いね。でも毛布を洗うと言うコンセプトが頭に無かったのだから仕方がない。折角毛布を洗うという名案を思いついたのだから洗うことにした。
洗剤はダメよ、と書いてあったので、風呂桶に沈めてバチャバチャ洗った。黒い。水が。まじか。ショックを受けつつ、何回も水を替えながら洗った。2時間以上掛かった。
しかし、困った。暇である。布団を洗うのには水を使うので、本もiPhoneもパソコンも使えない。つまり僕の生活の殆どを行うことが出来ない。仕方が無いから、毛布を洗うことに専念することにした。
毛布もただバチャバチャ洗ったのでは効率が悪い。1回の水の量をどうするか、とか、どうすると汚れが取れてそうか、とかそんなことを調整しながら洗っていると、色々なことを学べた。
例えばそれは「自分が何が見えるかよりも、何が見えないかを知るべき」とか「問題を解決する時は一部分をサンプリングしてきて大まかな問題の大きさを把握すべき」とかそういうことなんだけど、重要なのは、そのことを「言葉でなく心で理解できた」ことだ*1
たぶん、人は様々な種類の経験をするといい。毛布を洗うと言うことだって、日常の業務に対して大きな示唆を与えてくれる。毛布を洗って学んだことは、きっと言葉として学んだり、考えて結論付けたものとはちょっと質が違うように感じる。なんというか、厚みがある。
なんでもやってみるもんだ。予想もしないことが学べる。だから、「思い立ったら吉日、とりあえずやってみるっていうノリ」と、「やってみるための時間的体力的余裕を持つこと」が結構重要なんじゃないかねぇと思った。忙しくするのはいいけど、視野も余裕も無くして生きているときっと損する。偶に周りをのんびり見てみる時間は作るべきなんだろうなぁ。と。うん、これも言葉にすると大したことじゃあないね。
さて。問題は雨が降っていることだ。

*1:via 荒木先生