中の人を無視して動くキャラクター

ぶりっこ。
幼かったり、可愛いと思われそうな行動をとる子のことです。大抵悪口として使われる言葉です。たぶん悪く言われる理由は、ぶりっ子している人が「自分」として行動するのではなく、なんだか他人を意識しすぎて媚びている感じを与えるからかもしれません。
しかし、本当にぶりっ子は可愛い(と思っている)「演技」をしているのでしょうか?例えば、ある動きが可愛いなーと思って、その動作を意識的に行っている人が居るとします。これは文句無しにぶりっ子です。ですが、もしその動作を日常的に行い続けて、無意識的にもぶりっ子反応が出るようになったとしたらどうでしょう?
そのとき、ぶりっ子は演技をしているわけではないんじゃないでしょうか。自然と起こしてしまう行動なのですから。その段階になると、演じることが個人のパーソナリティに影響を与えてしまっているように思うのです。端から見たら只のぶりっ子であることに変わりはありませんが、本人の中ではぶりっ子動作こそが当然の行動であるのです。*1
ここで話をちょっと転換します。
ブログを書いたり、twitterでつぶやいたり、ウェブで情報発信をしている人には2通りの人が居ると僕は考えています。「ウェブ上に自分そのものを載せている人」と「ウェブ上ではキャラクターを演じている人」です。そういったスタンスというものを意識的に取っている人もいれば、中々クリアにしていない人もいるでしょう。
勿論、これらのスタンスというのは1か0かみたいなものではなく、どっちに寄っているかというものなんでしょうけど、僕個人は後者の「ウェブ上ではキャラクターを演じている人」寄りのスタンスです。ブログでも中の人とは違う感じにしていますが、特にtwitterでは「たぬき」というキャラを演じています。たまに中の人が顔を出しちゃいますが。
ここで面白いのは、たぬきというキャラクターを演じていると、たぬきというキャラクターが勝手に動き出すようになることです。twitterで何かを書き込もうとすると、どんなことを書こうと思っても「たぬき」らしい文になる。イライラしたときに不満をつぶやこうとしたらなんだかマヌケな書き込みになったこともあって、それを見て吹いてしまい、ささくれ立った気持ちが落ち着いたこともありました。たぬきは自分の一部でありながら、自分とは離れたところにある人格でもあるのです。

結語

先日の暁さんとのオフでは「たぬき」としてではなく、中の人として会いにいきました。その経験を経て、改めてウェブ上の人格とリアル人格の差異を感じられたので書いてみたエントリでした。
どうやっても中の人とウェブ上の人格は異なるものです。たとえ実名を出していたとしても。ここを意識しておくと、ウェブ上での評価とリアルでの評価を分けて考えていけそうですね。
関連エントリ:どっぺるくんが作るわたし - たぬきのねどこ

*1:勿論、それが他人に嫌われるかどうかは別の問題なのですが