便利な「まぁ」と、言葉による意識の舵取り

話すとき、僕は結構「まぁ」って言葉を使っちゃうんですよね。

「この前の○○の結果、こうだったみたいですよ」
まぁそうなるよね」

とか

「アイスを買おうと並んでいたのに、目の前で売り切れになった!」
まぁでもそういうこともあるよ」

とか、相手の言葉を受けて使います。
「まぁ」っていう言葉は便利です。相手の言っていることを受け止めつつも、一歩離れたところから言葉を発していて、なんだか視野が広いような感じがします。
物事を一歩離れて見るように視野を広く持つことは、一般的には良いこととされてます。ただ、全ての会話が何か結論を出そうというものでもないですし、相手はただ不満を言って楽になりたいだけかもしれません。共感してもらいたい、自分と同じ目線に立ってもらいたいと思っている相手に対して、「まぁそうだよね」というのはあまり良い反応じゃなさそうです。ということで、実際の会話中には「まぁ」って言葉が出てくるのを、なるべく言わないようにしています。最近はあまり言わなくなってきたかなー。
でも、相手に不快感を与える可能性があるとはいえ、「まぁ」は便利な言葉なので何か使えないかなーと考えていたところ、面白いエントリを読みました。えっと、かみんぐあうとっていうブログのこちらのエントリです。
エントリの中で筆者さんは「ちょっと今日はうまくいかないなー」ってことがあったときは

まぁ、こういうこともあるよね。

と思って過ごしていて、それでうまくいかなかったこともなんとかなるよって仰ってます(たぶん)。僕も全面的に賛成で、何でも思ったよりなんとかなるものだと思いますし、少なくとも「参ったなーしまったなー」って思って凹んでいるより、何倍もなんとかなる確率が高いと思います。
んで、ちょっと話を戻して、ここでの「まぁ」の使い方なんですが、やはり一歩離れて自分を見るときに「まぁ」を使っているわけですね。ただ上での例のときとは違って、このときのような「まぁ」は非常に有効そうです。自分が視野狭窄になっているなーってときに、「まぁ」で意識的に視野を広げているのですね。

結語

言葉というものは、思っている以上に意識を動かすことが出来ます。言葉の本来持つ意味はもちろん、その言葉の持つニュアンスも大きく意識に影響を与えます。そして、意識ってのは意外と許容量が少ないので、ちょっと方向を変えてやれば大きくその質を変化させることができます。
ですから、一つ一つの単語が意識にどのような影響を与えるか知ることで、自分の意識、そして人の意識も少しずつ変えていけるようになるんじゃないかな、と思うのです。自分の言葉遣いというものに、もうちょっと気を使ってみてもいいのかな、という話でした。
関連エントリ:空気を作る意味 - たぬきのねどこ