老人のありがたさ-西の魔女が死んだ

西の魔女が死んだ」は中学生の女の子「まい」が田舎のお婆ちゃん家で過ごすお話です。魔女という言葉は出てきますが、ファンタジーではなく現実世界のお話です。まいはお婆ちゃんと暮らす中で「自分で決定する力」と「それをやりぬく力」を得ていきます。。。と書くと説教臭い感じに見えますが、全然そんな感じがしません。むしろ田舎の穏やかな空気に満ちた世界です。
確かにお婆ちゃんは「規則正しく生活するように」とか「一時の感情に惑わされるな」といった内容の言葉を言いますが、作者さんの技量でそれがとてもソフトに聞こえてきます。また、このことを言うのが母親ではなくお婆ちゃんであること、お婆ちゃんは外国の方で日本語が少し不自然なことから、絶妙の距離感をまいと取っているところもソフトに聞こえる要因でしょう。こういった面でも作者さんは上手いなぁと思います。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

まぁそんな話なのですが、何が素晴しいかってとてもお婆ちゃんが魅力的なことです。もちろん、あまりマイナスな感情を表に出さないこと、まいのことを一番よく分かっている発言をすること、それでもキチンと言うべきことは言うことなど、お婆ちゃんの魅力は沢山あります。ただ、お婆ちゃんが魅力的なのは、そういった振る舞いが表面的なことじゃなく、背景に厚いものがあって表出されていることを感じるからなのです。
その厚みとは「生活の知恵」。ジャムを作ったり、洗濯をしたり。そういった生活の一場面一場面に「生活の知恵」が見られ、そのことがお婆ちゃんというキャラクターに厚みを与えているのです。例えば、ジャムを作るときは容器を殺菌しなくてはなりません。僕たちはそれを知識として知っていますが、お婆ちゃんはそれを知恵として知っています。同じように見えて、その違いは実はとても大きなものじゃないかと感じるのです。
最近は「生活の知恵」の価値が下がってきたなぁと思います。それは情報化社会になって知恵が必要ないように思えてきたこと、知恵には頑迷な面があって今それは忌避されていることが理由でしょう。こういった考えは若者にも強い発言権を与える事もあり、「生活の知恵」の相対的価値の低下には歯止めが掛からなくなってきました。またどっちが先なのか分かりませんが、老人達も「生活の知恵」を持った人が少なくなってきたように感じます。
でもこの小説を読むと、老人が知恵を持ってるってやっぱり良いことじゃないかなぁと思うのです。僕たちが想像する気分の良いお年寄りって、穏やかで懐が深い人ですけど、それは知恵に裏づけされた厚みが重要だと思ったのです。だから、僕は色々な経験を積んで歳を取っていきたいと思うし、もう少し知恵というものに敬意を払ってもいいかな、と思ったのでした。
グダグダ感想を書きましたが、「西の魔女が死んだ」は穏やかな気持ちになれますし、オチも中々結構なオススメ小説です。こどもにも、おとなにも。