遺伝子組換を擁護してみよう

あなたは膨大な量のテレビを持っています。あなたは映る画像がもう少し青めのテレビが欲しいと思います。
その沢山のテレビを使って、どうやってそんなテレビを作りますか?

  1. 適当に配線を切ったり繋いだりして、画像が青くなるものを探す(失敗したものは捨てる)
  2. バットでぶん殴って、画像が青くなるものを探す(失敗したものは捨てる)
  3. そんなことは出来ない。現実は非情である。

品種を開発すること

品種改良ってのは、"自然に"遺伝子変異をいれ、有用な品種を開発することです。
最近では、研究室内での遺伝子組み換え生物を作って調べた後、いけそうだったら再度"自然に"遺伝子変異を導入し、目的の生物を得ます。もう少し具体的に言うと、「おそらくこの辺に変異いれると良さそうだな」という遺伝子に人工的に変異をいれ、実際に目的の表現型を持つ生物が取れたら、再度元の生物に"自然に"遺伝的変異をいれることで、有用な表現型を持つ生物を生み出します。


んで、"自然に"遺伝子変異を入れるってどうするんでしょう。変異が入るまでじっと待つ?現在そこまでノンビリしている人は居ません。遺伝子に傷が入りやすいストレス条件下において、変異したものを即座に取ろうとします。一般的にはUVを当てるのが普通なんじゃないでしょうか。Ultra Violet、紫外線です。

殴って変える?弄って変える?

微妙な例ではあるんですけど、遺伝子組み換えと品種改良って上の例で理解するといいと思うのですよ。
遺伝子組み換えで有用な生物を発見する作業が、「1.適当に配線を切ったり繋いだりして、画像が青くなるものを探す」で、UV当てたりして変異したものを取るのが「2.バットでぶん殴って、画像が青くなるものを探す」ね。
バットでぶん殴ると、何処が変わったからテレビが欲しいものになったのか分かりません。もしかしたら他の部分も壊れているかもしれない。勿論、配線を変えるのだって、そのことによって他にどんな影響があるのか分からないんですけど。
さて、どっちのテレビが安全そうですか?

安全性の違い

自然で取れた生物は安全と見なされる理由はなんでしょう?それは、今まで食ってきたけど大丈夫だったことに尽きます。科学的に危険なものが含まれていないかは調べていますが、そのチェックで100%安全だなんて言えるわけないです。
では、遺伝子組み換え生物は何で危険なんでしょう。危険なものが含まれていないことを調べた後であれば、違いは「今まで食べてきた経験が無い」ことです。そしてこのことは、品種改良した生物にも言えるわけです。
*1

戻れない世の中

じゃあ、自然界のものだけ食べたら?ってわけにもいかない。美味しいもの食べたいし、品種改良していないものは育ち難いから育てる人なんかいない。品種改良されていない食べ物なんて殆どない(天然ものの魚とかか)。何より、品種改良or遺伝子組み換えをしなくては、人口を支えていくことは出来ない。
現在の食料が足りない時代を考えれば、早急に作ることができる遺伝子組み換え生物を認めざるを得ないよねーと思うのです。

*1:同じように考えれば、よく見る「自然界に居るから安全(食べたこと無いけど)」とかありえない理論ですね